会津藩主松平家墓所は、会津若松市内から車で約10分の東山温泉入口の手前左側の山裾にあり、通称・院内御廟とよばれている。東山街道の標識を入り突き当たりが参道入口である。この参道入口からなだらかな坂道を漸く登った所に、西の御庭中の御庭とよばれる墓所があり、更に石段を登りつめた所を入峰の墓所という。入峰の墓所には三代正容〈まさたか〉公から九代容保〈かたもり〉公までの神式による巨大な墓碑が立ちならび、中腹の西の御庭・中の御庭には二代正経〈まさつね〉公及び藩主の夫人・側室・子女が仏式によって葬られている。 院内御廟は藩祖保科正之公の嗣子〈しし〉正頼公が亡くなった明暦三年(1657)に、正之公によってひらかれた墓所である。 三代から九代までの墓はいづれも、初代正之公と全く同型の「碑石」(墓誌石)を前面に置き、碑石より一段高い所に対の石灯籠を並べ、その奥に「表石」を建て、更に奥まった小高い所に陵墓を営んで八角形の「鎮石」を置く方式になっている。碑石はいづれも亀型の石(亀趺坐〈きふぎ〉の上に建てられている。 会津藩主松平家墓所は、わが国近世大名家の墓所のなかで吉川神道による造営という貴重な例を示し、その壮大な規模とともに荘厳な宗教的雰囲気は全国でも類をみないものとの理由で、昭和62(1987)年5月国史跡の指定を受けている。 十一代容大〈かたはる〉公(明治43年歿)以降は、入峰墓所の西端(左端)の「松平家之墓」に埋葬されている。 なお初代保科正之公の墓所は耶麻郡猪苗代町見祢〈みね〉山の土津神社〈はにつじんじゃ〉にある。
入峰墓所の配列(案内図右から順に)
八代かたたか
容敬
まさお
忠恭霊神
会津中将源容敬之墓在任三十一年享年四十七才
四代かたさだ
容貞
つちとわ
土常霊神
会津少将源容貞之墓在任二十年享年二十七才
三代まさかた
正容
とこお
徳翁霊神
会津中将源正容之墓在任五十一年享年六十三才
五代かたのぶ
容頌
ゆうしず
恭定霊神
会津中将源容頌之墓在任五十六年享年六十二才
六代かたおき
容住
みすてる
貞昭霊神
会津侍従源容住之墓在任五ヶ月享年二十八才
七代かたひろ
容衆
あきさと
欽文霊神
会津少将源容衆之墓在任十七年享年二十才
九代かたもり
容保
まさね
忠誠霊神
正三位松平容保之墓在任十七年享年五十九才



参道入口 容保の墓 土津神社
参道入口 九代容保の墓 土津神社

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