強清水 (こわしみず) |
強清水の由来 |
今からおよそ760年以上も昔のこと。大久保山のふもとに木こりを していた与曽一、与曽二という父子がいた。父の与曽一はまじめな 働き者だったが、息子の与曽二は大なまけ者で、年中酒を飲み、果 てはおいはぎをするようになった。 ところが、二年続きの大凶作で日照りが続き、猪苗代湖の水も底が 見えるほどだった。これにはさすがの与曽二も飢えでへとへとにな ってしまった。ところが、父の与曽一は、山仕事を終えて帰ってく ると、いつも、ほろ酔い気分でいるのである。不思議に思った与曽 二は、こっそりと父のあとをつけた。与曽一は山仕事を終えると、 帰る途中の清水を飲んでほろ酔い気分で家路につくのであった。こ の道楽息子は「これこそ酒のでる清水に違いない」と、飲んでみた が、ただの清水だった。 それから幾日か過ぎたある夜、与曽二が空腹をかかえて寝込んでい ると枕辺に弁財天が現れた。「これ与曽二、そなたの飲んだ清水こ そ、人々に幸せをもたらす恵みの泉なのじゃ。なぜ、そなたは恩恵 を授からなかったのか考えてみよ」と、静かに語られ消えてしまわ れた。あまりの神々しさに強く心をうたれた与曽二は、自らの罪の 深さを悟り、悔いたのである。 それからというもの、すっかり生まれかわった与曽二は、父に孝養 を尽くし、この清水の近くに御堂を建て、堂守りとして長くそこに 住んだということである。 会津盆唄の一節 ハァー恋(鯉)の滝沢 舟(鮒)石こえて 親は諸白 子は清水 というのは、まさに、この父子の物語をうたったものである。 いまも美味しい清水がコンコンとわき出ている。 |