会津五街道

藩政期に入ると、参勤交代のため江戸への道は重要 になりました。さらに塩の移入に加え、藩財政を支えるため、領内で生産された米を江戸や大阪などの大消費地で売りさばく必要もありました。漆器など、他地域で待ち望まれる会津ならではの特産品もあり、政治的・経済的重要性から道はさらに発展を遂げることになります。
若松城下の大町札の辻からは、ちょうど5本の指を広げたように道が整えられ、南東へ延びるのは白河城下へとつなぐ「白河街道」。東へ行くのは本宮から二本松へ向う「二本松街道」。西をめざすのは越後の国(新潟県)への「越後街道」。南へ向うのは下野の国(栃木県)今市をめざす「下野街道」。北への道は若松城下と米沢城下を結ぶ「米沢街道」です。これら5本の道は「会津五街道」と呼ばれていました。

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