□ゆかりの地
●如来堂
新選組殉難地
神指城跡、土塁上観音堂前に建つ。戊辰戦争(1869)の時、会津側につき西軍と戦い、多数の戦死者を出した新選組士殉難碑があります。

●秀長寺古戦場の碑
如来堂の戦いから脱出した山口二郎、池田七三郎、久米部正親、吉田俊太郎、河井鉄五郎、志村武蔵は、会津藩の佐川官兵衛の指揮下に入ったと思われる。秀長寺周辺で西軍を迎え撃った東軍総指揮・佐川官兵衛はわずかな兵力で西軍に甚大な損害を与えた。東軍の唯一の勝利であった。

●清水屋旅館跡
宇都宮城の激戦からのがれて来た土方歳三、島田魁、中島登、漢一郎、畠山芳次郎、沢忠助、松沢乙造たちは、清水屋で他の隊士たちとも再会しました。

●滝沢本陣
土方をはじめ新選組隊士など、ここから出陣を命じられたのです。戦いの場ともなり、現在も刀キズなどの生々しい跡が残っています。

●会津東山温泉
土方歳三は足の傷を治療する為に東山温泉で湯治をしながら天寧寺に近藤勇の墓を建てたのです。

●大龍寺
西軍の野戦病院として使われ、戦火をまぬがれた数少ないお寺です。

●西軍墓地
戊辰戦争で会津に来攻した西軍のうち会津若松付近で戦死した将兵の墓。

●飯盛山
新選組とともに戦いにやぶれ、傷付き疲れ果て逃げて来た飯盛山より城下町を見下ろすと、火の海となったのを落城と思い込み、若い命を散らしていった白虎隊士たちの自刃の地です。

●興徳寺
宇都宮城の激戦を土方とともに戦った第一大隊長・秋月登之助の墓があります。

●妙国寺
白虎隊の遺骸がそのまま捨てられているのを哀れんで、西軍の目を盗んで最初に埋葬したお寺です。

●松平家御廟
会津藩主・松平容保の先祖代々の墓。

●御薬園
会津藩の歴代の別荘として設けられ、薬草を栽培したことが名前の由来とされています。

●會津藩校日新館
日本三大藩校のひとつ。

●日新館天文台
會津藩校日新館は、当時全国でもまれにみる設備の整った学校で、文武とも専門的な教育を行っていました。

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